中村庸二
1892年(明治25年)2月8日生まれ。
1909年(明治42年)東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科入学
1914年(大正3年)7月東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科卒業
1914年(大正3年)大林組(大阪市東区北浜)に勤務
1919年(大正8年)東京帝国大学営繕課勤務
1921年(大正10年)中村田邊建築事務所勤務
1924年(大正13年)同潤会勤務
1926年(昭和元年)日本橋に中村庸二建築事務所を開設
1928年(昭和3年)に作品集出版
1932年(昭和7年)合資会社中村建築事務所に改組
1933年(昭和8年)自ら設計した、濱町の優生病院にて逝去 41歳
関係作品等
「東洋経済新報社」「濱町ビルヂング」「内藤眼科院」「森友邸」
「黒野ビルジング」「横森医院」
1920年日本建築協会主催 改良住宅 2等1席
1929年AS会第1回建築展覧会出品
1930年建築学会第4回建築展覧会出品
1931年建築学会第5回建築展覧会出品
中村庸二建築事務所
1926年に日本橋蛎殻町に開設。
建築・土木の設計及び施工を請け負い、
日本橋を中心に麻布や深川そして杉並などに作品を残しました。
□作品集の序から
友人中村庸二君は、曾て中村田邊建築事務所に居りし際、首席技師として、
諸工事に従事し、設計と施工とに於ては充分経験を有し、従て頗る優秀なる
技能の持ち主である。
後独立して中村庸二建築事務所を創設し、建築の設計と其施工とを両つながら引受け、
以て註文者の満足を得るやう努力しつつあるのである。
斯くの如く設計と施工とを與に引受けし結果、同氏は自然興味を以て業務に従事し、
註文者に對しては親切となり、従て建築の出来栄も忝く好果を結び得たのである。
斯くて註文者次第に増し、終に事務所開始以来僅に一年有余にして、
而も本巻載する所の如き多数の建築を實行するに至り得たのである。
抑建築は實用的装飾物であらねばならぬ。依て同氏は其趣旨により設計施工したのである。
就中、氏の施工せし諸建築の地下室の如きは、地下三米の深き場合に於ても、
漏洩の微候毫もなく。乾燥商品を安心して貯蔵し得ることは、商家に取て大福音である。
斯く本集第一巻は漑して大建築では無けれども、忝く同氏熱誠の結晶である。
されば予は本集を中等建築の好資料として、敢て之を江湖に推奬することを憚らぬのである。
一言以て序とする。
昭和三年六月下旬
工学博士 中村達太郎
*経歴は近代建築研究の堀勇良氏から調査資料をご提供いただきました。